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Channel: オーディオ(Audio)文明(世界遺産)に想う_なお&トラちゃん
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アナログ用ターンテーブルシートの効用

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昨日も書きましたが、やはりその評価は上がる一方です。
アナログのターンテーブルに使うより効果がありそうです。(笑)
 
それだけ、CDプレーヤー自体の振動があり、その振動が音に影響を及ぼしているということだという
ことが良く分かりました。
CDを回転させるモーターの振動、それに電源トランスの振動です。
電源トランスは、耳を近づけると唸っていることが分かります。
機種にもよると思いますが、機種によってはかなりの唸りをあげているものもあります。
いずれにしても、どの電源トランスでも大なり小なり唸りをあげて、振動していることは
間違いありません。
 
この二つの振動系がこのシートによって、抑えるのではなく、一瞬で整えるという発想だと思います。
瞬時に処理する力は他のインシュレーターではなかなか達成出来ません。
 
このお蔭で、音が空気を伝わって空気が波打つような感覚が得られるのだと思います。
 
この感覚は、一般には難しいのですが、ボリュームを外した時に得られる感覚です。
一般にはプリアンプをパスすることになると思います。
しかし、パワーアンプにボリュームがあったのでは、その空気感は間違いなく消えます。
そうするとまずは爆音になってしまって聴けません。
ですから、なかなか一般には難しい聴き方になります。
私のCD専用アンプは一般パワーアンプよりもかなり利得は小さいと思います。
その他かなり細工をしていますので、ボリュームなしで、CDプレーヤー-パワーアンプという
シンプルな構成で聴けるのです。
アナログも同じです。
アナログプレーヤー-モノラルフォノイコライザー-パワーアンプという構成です。
プリアンプは通していません。
 
話は外れてしまいましたが、この空気感がCDで出せるようになったことが、とても驚きですし、
師匠にCDプレーヤーをVer6まで上げてもらったことが生かされたと思います。
はやり仮説を立てtry-and-errorを繰り返すことが何かしら次のステージに結びつくのだと改めて
感じさせてもらっています。

最近教養やリベラルアーツという言葉がクローズアップされていますが・・・

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ここで私なりにこの言葉について綴っておきたいと思う。
 
歴史・哲学を学ぶ意義 
すなわちリベラルアーツを学ぶ意義
 
「今」を大局観で捉えて、総論ではなく、各論の打ち手の判断、意思決定の礎となる確固とした「意志」を支える精神の安定剤である、と定義したい。
自分が「今」という時代に制約されていることを自覚することが大事である。その時代に制約されているその「今」をより客観視し、抽象化することが求められる。その為に歴史が動かされてきた「何か」を探らなければならない。ただ単に歴史的史実の知識を身につけるのみならず、その動かされている歴史的背景・空気感を探らなければならない。そんな中で判断・意思決定及び制度が生まれたことの中に身を置けるようになりたいものだ。
そのような行為そのものを我々は楽しみたいと思うのである。
現代はweb社会にあり、世界のあらゆる情報がリアルタイムに入手できる世の中で、関西学院大学の鈴木謙介氏のいう多孔化(ウェブ社会のゆくえ―<多孔化>した現実のなかで』NHKブックス)していると言われている。その通りだと思う。
しかし現代に身を置かない昔と言われる歴史過程のその「今」を覗いてみても戦争、革命及びその思想が四方八方から押し寄せる多孔化の嵐だったのではなかろうか。少なくとも色々な波が押し寄せている変化が非常に感じる世の中だったと思うのである。今までにないスピード感と言ったら良いのだろうか。
その時代に流れる風とその背後にある影を感じることが出来るようになることが、「今」を捉えられる訓練となるのだ。
 

普通にいることの難しさ・・・良い音のために

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オーディオリプラスのターンテーブルシートをCDプレーヤーに乗せて聴いて、その良いほうへの変化に
喜んでいる毎日であるが、これも日々続いていくと普通になっていく。
音楽ファンなら日々素晴らしい音楽を聴けるようになって素晴らしいことではないか、ということで
問題はない。
しかし、オーディオを趣味にしているものにとって、その喜ぶ日々が終焉に近づいてくることが
目に見えている。(笑)
いくらその質感が上がってとても良い音を聴かせてくれていても、それが普通の状態になる定常状態
になることがどうも耐えられなくなるのだ。
そんな心情が続いて、浮き沈みがありながらも、目標に向かって進んでいるだと思う。
目標ってなんだ?
それでは目的ってなんだ?
 
企業経営のような問いだが、やはりオーディオにも当てはまることがある。
目標は数字や定性であってもある達成に到達する地点である。
しかし目的となると信念、理念、哲学的な感覚にあたるので、定性だが極めて抽象度が高く、
目標と目的が一瞬同一になるかもしれないが、目的は常に追い続けるものかもしれない。
それは理念的であるので、ある方向性がある。これは方向性が間違っていると気づいたところで
修正はもちろんしなければならない。
目標は割合短期なもので、ここ一年で達成したいことや、質ではなく物としてこの機材を購入するという
戦略や戦術にあたる目的のための手段、いや目標のための手段だったりする。
手段と目標が一致する場合は、その機材の購入だ。
手に入れることが目標達成だったりする。音は二の次ではないけど、持つ喜びである。
この機材から出る音だったら、良いに決まっているというある種の陶酔感であろうか。
 
単に音の追及だけではないのが、このオーディオを趣味にしているものの特性と言えるかもしれない。
しかし、私のようにあまりナショナルブランドを使わない(使わないことはないのだが、使えるものが限られている。誰にでも使えるように安全面などを含めて音に対して妥協の産物だからである。・・・中にはグレートコンプロマイゼーションという言い方をしているところはあるが。いずれにしても致し方がない。)
ものにとっては、デザインも一応は気にしているが、それよりは音が間違いなく、ファースト・プライオリティである。
他のデザインなどは妥協しても音に関しては妥協はしたくない。
ゆえに、トランスなどは市販品では難しくなる。
 
このように妥協せずにここまでやってきて、これからも続けていきたいと思うし、続けていけることに感謝して
良い音を追い求めたい。
 
 

東京の風物詩❓。。。雪景色とその後

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今年の大雪は26センチだったとのこと。昨年は7センチ。
こんなに住んでいながらの体験は初めてです。

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翌朝、外に出てみると周りの住人の仲間さんが雪かきをしていました。都知事選の選挙を済ませて、私も少ししました。
雪のほとんど降らない地域で育った私には新鮮な感覚なのです。

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大人は雪の少ないところを選びながら歩いてますが、子供はあえて雪の山を目指しています。無邪気です。まさしく邪気が無いのだと思います。大人も大人の道具を使って空を何機ものヘリコプターが飛び回っています。報道でしょうが、なぜか無邪気さを感じてしまいます。怪我や事故、停電など大変な思いをされていらっしゃる方々も多いでしょうが、雪かきをしながら、

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周りの方々とのコミュニケーションは楽しいものだと感じています。

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最後に無邪気な成果天からの恵み

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CDプレーヤーのその後

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オーディオリプラスのアナログ用ターンテーブルシートをCDプレーヤーの天板に乗せて、その効果を試していますが、やはりその効果は絶大で戻せません。それどころか、それが普通になると書きましたが、まだ普通になりません。(笑)毎日感動してます。
アナログのレコードは2000枚以上は持っていると思うのですが、CDはまだおそらく200枚に満たない程度だと思います。このように本格的に聴けるようになると思っていませんでしたので、アナログで持っているのを、CDで聴きたいと思っています。少しづつ集めたいところです。今日もネットでシベリウスの交響曲集やブルックナーを買いました。
とにかく楽器と楽器の間にまとわりついていた付帯音が消えて、音の倍音や楽器と楽器の距離感まで分かるようになりました。定位が良くなったのだと思います。
完全に本を読む時間と聴く時間が逆転しました。
それから、いつも師匠にクラシックは、この音量は余りに小さいと言っていましたが、この小さな音で8割がた満足するようになりました。さすがにピアニッシモでデクレッシェンドをさらに続けるところなどは、想像しかない(笑)くらいです。そこはホールの大きさを感じたいのです。しかしそこまでの要求レベルに達してきた証拠です。
それからCDプレーヤーを3日間ほど通電した状態の音を試しました。勿論良い音はしますが、通電開始して1時間も聴けばだいたい同じレベルに達するのではないでしょうか。私が主観的に、この音が出たというチェックポイントがあるのですが、ある心地良さが感じられる柔らかさでしょうか、それが30分すれば出だしたな、と感じ1時間すれば常に感じられるようになります。
それがアナログと同じ感覚なのです。
一流な奏者のハーモニーの見事さを感じられる部分かもしれません。
そこがCDで感じられるようになったことが素晴らしいと思うこの頃です。

電源周りの調整

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2,3年前まではよくやっていたのですが、最近はあまり触っていなかったことに気づきました。
それだけオーディオへの想いが二番手になっていたのかもしれません。
一番は読書です。これは仕事でもあり、止められません。😊
昨日から重い本を一冊読みした。久しぶりの和辻哲郎でした。同年代では西田幾多郎と柳田國男の二人をこのところ読んでいたので、和辻は新鮮でした。余裕のある人だと先の二人と比べて感じました。
その話はさて置き、

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書斎のほうにも、

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導入してみました。
結果はまた後日書きたいと思います。最近CDを聴くのが楽しいですね。ソフトも買いだしました。

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こんなにカミソリのような鋭敏な音を出しながら余裕を感じます。音の芯が太く滲みが無いとは言いませんが、少ないのだと思います。
この感覚はアナログでしか出ないと思っていました。空気感も伝わってきます。触れる感覚です。

電源周りの調整。。。結果

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私の好きなオーディオリプラスのハイエンド・コンセントパワープレートCPP-2SZ/HGとハイエンド・スーパーコンセントベースSCB-2SZというメーカーの推薦の最強の組み合わせです。

3時間程度の視聴でしたが、結果はあまり良くないものでした。飛躍的S/N改善と書かれていますが、 パワープレートのみの方が良い結果でした。これは意外な結果でした。
それで

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写真のように、オーディオリプラスの10×20の石英を4個サンドウィッチしました。

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結果ベースとの間が10mm空きました。
その音はどうだったか?
バッチリでした。
これで、メーカーの言うS/Nの向上がはかられ、より高域の伸びが感じられるようになりました。元々良かったので少しですが更に前進!と言う感じでしょうか。
やはり振動対策は大事ということだと思います。

CDプレーヤーのバージョンアップ。。。Ver7が出来るか?

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 アナログのターンテーブルシートをCDプレーヤーの天板に乗せることによる音質改善は見事でした。
師匠もそれを聴きトライしたようです。
見事な音質改善に師匠も興奮気味でした。
 
 そのことがトリガーとなり、色々とやり取りをしているうちに、師匠は内から燃え上がるものがあり、
 ついに、一番難関のバージョンアップをしているようです。
 今は、1000万円出そうと、それ以上であろうと、効率性から基盤配線にならざるおえません。
しかしこれは音にとっては、良からぬことであるのは火を見るよりも明らかなことです。
 
 もちろんプリアンプ(これは非常に良い出来なのですが、最近はボリュームを使いませんので埃を被っています。すみません)も、空中配線ですし、パワーアンプもしかりです。
 世の中の市販品も空中配線化すると音が良くなるのは明らか(出来ない理由だらけ)でしょうが、まずは
そのようなものは見かけなくなりました。
 基盤はどうしても音を濁してしまうのでしょうか。
しかし、空中化するということは匠の技になります。しかしトライする価値はあるとおもうのですが、
 気の遠くなるような配線構造になりますし、はんだ付けも至難の業になることは明らかです。
 
 それをCDプレーヤーでやるとなるとどうなるか?
  そもそも出来るのだろうか?
 
 今の設計思想ではなく、開発当初はアナログ発想でシンプルなところが多く、所謂ブラックボックス化していない
ので、トライできるのだと思うのです。
 ではブラックボックスって何だろうか?と思ってしまうのです。
 真似のできない独自性技術を確保するための部品なのでしょうが、そもそもそれがモジュールとして素晴らしい
 ものであっても全体として最適なものに仕上げられているかとなると、私はどうもそうなっていないのではないか?と思ってしまうのです。我が家では500万円以下のCDプレーヤーしか試したことはないので、超ハイエンドの
 音がどうかは、我が家で試していないので分からないのですが、外で聴く限りはある域を出ていないように
 聴こえるのです。
 それが今回の師匠の(おそらく悪戦苦闘)トライで、ブレークスルーするのではないか、と思っています。
 
 師匠と二人で刺激しあってトライアンドエラーを繰り返しながら、技術に裏付けられてトライアンドエラーを
 することで、アナログとも肉薄となることを大いに期待したいと思っています。
 今回はやっとその域にたっするのではないかと直観として感じています。

ブル8をアナログで聴く

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ブルックナー交響曲8番ハ短調 ハンス・クナッパーツブッシュ指揮 ミュンヘン・フィルのアナログレコードで聴いてます。

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実はCDプレーヤーとパワーアンプを師匠に送りました。バージョンアップのためです。
久しぶりのアナログです。
やはり余裕が有りますね。それと厳しさの両面が伝わってきます。
氷上のツルッとした綺麗さではなく、スタジオの現場感覚が伝わってきます。
血が通う肌感覚がCDとはさすがに違うと改めて再認識させられます。
その感覚がバージョンアップすることで出てくれるかどうか、ですね。
アナログはやはり追い込んでいますので、良さも荒も全て出すという感覚が強く認識させられます。
この見事な演奏ながらスタジオ録音というホールトーンのなさが浮き彫ってきます。しかし古い録音ながらさらけ出してくれることで60年代の時代感にタイムスリップできます。
う~んCDではない感覚があります。
ある意味CDのほうが上手に鳴らしてくれるようです。
しかし、時代感は感じないのです。
その差異はどのように判断するかです。
3日間アナログを聴きこみます。
来週にはバージョンアップしたのが帰ってきますので、その変化具合を報告致します。

CDプレーヤーのバージョンアップ

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明日早速到着します。
師匠にパワーアンプと合わせて、チューニングしてもらいました。
出来は素晴らしいようです。
ver6のCDプレーヤーをもう一台所有していますので、今はそれで鳴らしています。CD専用アンプももう一台持っていて、少々質的に落ちますが、それで鳴らしています。
クラシックはホールトーンの余韻などは不満は有りますが、ジャズは球がテレフンケンのEL34ということもあり、シビアさよりユッタリ感のある球で心地よく鳴っています。
この感覚から明日はどうなるか、とても楽しみです。

CDプレーヤーVer7到着

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早速鳴らしています。
まずは、Ver6の昨夜のCDプレーヤーで、パワーアンプを交換してその差異を確かめました。
球がTOSHIBAの6L6GCとの違いという音色の問題があって一概に甲乙をつけるのはどうかと思いますが、やはり回路設計、部品の違いがあり、格の違いを見せてくれます。
今回の送った理由としてアンプの利得を上げてもらうのがメインでした。ボリュームを使っていませんので、その利得調整が割合シビアなのです。
しかし一般市販のパワーアンプと比べて驚くほど利得は小さいと思います。

さて、CDプレーヤーVer7へ交換しました。
なるほど。。。空間表現の違いに驚きます。
因みにまだアナログのターンテーブルシートは天板に乗せずに聴いています。
花が咲いた、というメタファーが良いのかどうか、ですが楽しく聴かせてくれます。それでいて一つ一つの楽器のフォーカスは見事です。余韻、音の消え方が見事で心地よいですね。
明日またターンテーブルシートを乗せたりして色々試した結果をご報告します。

CDプレーヤーVer7の聴きこみ

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 昨日は9時過ぎに到着後、本も読まずに(あえて)10時間以上聴きました。
もちろん色々と試したのは言うまでもありません。
 結果は凄いCDプレーヤーになってきました。
  師匠はこれ以上はもう無理、と毎回言いながら(笑)Ver7まできました。
 こんな28年選手をここまでよくも作りこんだものです。ただ見かけはそのままですが。
 中身は全くの別物になっています。
 
 とてもふくよかでありながら、左右の広がり、奥行きとも見事というところまできています。
 ただここまで追い込むと、アナログでもそうなのですが、これを一般の機器と合わせると厳しすぎる
 音になるかもしれません。
 一般品は心地よさのために低域を膨らませたり、などメーカー毎に音づくりをしています。
 
 こちらはもちろんその音づくりは意識しながらも、硬い音ではなく、厳しい音に仕上げることに追い込んで
 行ってます。
 今回も2時間程度聴いて「良いんだけど、中高域が這い上がっているな」と感じてきました。
 とても厳しい音です。
 それで
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電源ケーブルをいくつか試した結果バルハラからNBSブラックラベルオリジナルを
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電源コンセントからノイズカットトランスまでのところを交換しました。
ノイズカットトランスはCDプレーヤーとパワーアンプは別々に設置しています。
容量的にはもちろん共有できますが、これではノイズカットという目的のためには良くないことが
以前に分かっていますので、別々にしています。
結局どちらも電源コンセントからノイズカットトランスまではNBSのブラックラベルオリジナルです。
そこからはいずれもヨルマデザインのヨルマプライムのACケーブルです。
CDP-パワーアンプもヨルマプライムのRCAです。アンプ-スピーカーもヨルマプライムです。
 
結局のところわが書斎のシステムはこのような結果に落ち着きそうです。
スピーカー:ダイヤトーンの2S-3003を鳴らしていますが、ネットワークは交換して鳴らしこんでやっとここまでなるようになりました。やはり頑張って愛情をかけて鳴らしこんでも3年以上はかけないと、なかなかここまで到達できないのだと実感しているところです。ネットワーク交換は必須です。
 
音と音の重なりが歪で潰れているのはCDでは分かっていたことですが、それを鳴らすのは無理だろうと思っていましたが、その幾重にも重なった音と音の間に空気を吹き込むことが出来たように感じています。
まだ、アナログまでは到達(アナログも最終到達地点にはまだまだだと思っていますが・・・)していませんが、
細かな調整に入る段階まで来たことは確かです。
書いてきました「厳しい音」を和らげる方向に一般に走りがちですが、その厳しさをせっかく出してくれているのですから、それを活かすほうにもっていくというのが、師匠と私の考えです。音を丸めると聴きやすくなります。
それにパワーを入れると、快感な音になります。しかし、音を聴くことになります。その音の快感のための道具に
なります。そのような追い込みをしている方はいます。それはそれで趣味ですので、良いと思います。オーディオの楽しみ方の一つです。
 
 私は合成の誤謬に陥らないように一つ一つの音の鋭さと優しさと周りに与える影響、関係性が全体最適に
なるような音づくりにもっていきたいと思っています。
 それが出来かけてきたということです。実は今まで、CDではほとんどクラシックを聴きませんでした。
 音の重なりがつぶれていて、全体としては案外うまくなってくれていても個々の楽器が生き生きと鳴ってくれて
 いないからです。つまり道具を鳴らしている人の存在があまり感じられなかったからです。
 それが感じられるようになりました。その一人ひとりの存在が全体のハーモニーとなって心ひとつの作曲家の魂として伝わって欲しいのです。
 それが感じられるところまできました。
 ですから10時間以上もCDのみで聴いていられるのです。
 CDは200枚も持っていないと言っていましたが、あれから買いました。聴きたいブルックナー6,8番やシベリウス2番、チャイコフスキー6番、ショスタコーヴィチ1,5番、ブラームス1番等々・・・・短期間に50枚以上買ってしまいました。これからもCDは増えていくと思います。今年中には500枚くらいにはなっているかもしれません。
今更ながら、CDはアナログに比べて便利ですね。
世の中はもうクラウド時代で、ずっと先を行っていますが私は趣味の世界ではゆっくりとじっくりと腰を据えて
いきたいと思っています。
 

CDプレーヤーVer7+ターンテーブルシート

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 2日間で20時間は聴きました。
 昨日はアナログ用のオーディオ・リプラスのターンテーブルシートを天板に乗せて聴きました。
 その良さは先日書いた通りですが、バージョンアップして更に良くなるのか、それともそれ程でもないのか
 とても興味がありました。
 結果は更に良くなりました。
 いやな付帯音がとれてより見通しが良くなります。
 バージョンアップした段階でターンテーブルシートを乗せた以上の質的アップが認められました。
 乗せることで更に、左右・奥行の広がりの中で付帯音が取れて奥の楽器のリアリティが見事に再現されます。
 チェロやコントラバス、ティンパニーの低域がこもらずに自然に倍音としてホールトーンとして響いている
 感覚に惚れ惚れします。
 この感覚はアナログだなと思うとともに、ボリュームを外したなせる業と感じるのです。
 アナログを聴きにこられた、ある有名なプロがこの鮮度は一般には無理だと仰られたことが蘇ります。
 その音がCDから出るとは私も夢にも思いませんでした。
 
 ただ、まだアナログにはかなわないと思っています。
 その違いを拡大して言う(そこまで大き差異はないのですが。)と、まだ綺麗な音なのです。
 小さな小舟に乘った時の波風感と大きな船の波風感のリアリティの違いでしょうか。
 潮の香がしぶきを伴っているか、否かの違いでしょうか。
 アナログにはそれがあります。
 アナログといいましても、LP12のRADIKALの電源でDCモーター(一般にはこれのほうが良いし高価)では
 もうCDは同じレベルに到達しています。
 バルハラの設計をそのままいかし、すべて高度にバージョンアップしたLP12(しかもスケルトン)には流石に
 かないません。しかし、本当に近づいてきたことは確かです。
  師匠はもう無理だ?!!と言いますが、確かに28年前の十数万円のものですので、限界はあると思います。
 しかし、デジタルの限界を感じさせないものになったことにとても喜びを感じます。
 設計思想にその頃にあったアナログとデジタルの融合をファインチューニング(設計変更もしています。ここがミソですが)することで、ここまで追い込めたのだと思います。
 ここまできましたので、そろそろ仲間にも聴きに来てもらっても良いな、と感じています。
 

オーディオのF1を目指すが・・・

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 最近またよりオーディオに力を入れています。
本もはやり読んでいます。
年間200冊を読んでいますが、今年は少し冊数を落として100冊程度にしたいと思っています。その分オーディオに、ということではなく、大著を読みたいと思っているからです。
ここ一月もそのようなものを読み出しました。小説や新書は一日で読めますが、大著になると3日では苦しく1週間でも苦しいものもあります。
これを書いている時に届いたロバート・K・マートン『社会理論と社会構造』みすず書房などは一週間でも読む自信がありません。
これを書き始めましたのもある哲学書を一週間かけて悪戦苦闘の末に読み終えましたので、その余韻で書いています。
 私と師匠は、車というメタファーを使うと、一般公道を制限速度の40km/hで走るような感覚の走法の音づくりを
 しています。
 制限速度40km/hと言いましても普通はそれを数キロオーバーで走っていることが多いと思いますので、こちらの車の動きが遅く、後ろの運転手には「遅いな」と思われイライラされるかもしれません。
我々は周りに緑や、街並み、その垣根の花々の美しさを感じながら、走るというプロセスを楽しんでいるのだと思います。
 十数kgの真空管アンプ、28年前のCDプレーヤー同じころのLP12というアナログプレーヤー(最新のLP12も所有していますが・・・)をメインに聴いています。
ただ、F1にチューンアップしています。
ただ、世の中のスーパーハイエンドのようなモノラルで左右それぞれ100kgもあり、CDプレーヤーもトランスポート、DAC(私も持っていますが・・・)で鳴らすのでハイエンドでは当たり前になっています。
しかし、F1の世界はそんなに重くては走れません。
オーディオでは部品点数が多すぎると思っています。そこを全て信号が通るわけです。音づくりに大切だから、そこまで部品点数やら物量を投入するということでしょうが、そんな中では、鮮度感は間違いなくおちます。
それはF1ではなく一般コンシューマー用だから致し方ないのかもしれません。
 それに西洋のハイエンドは50畳を超える部屋に4mにも及ぶ天井高を風土性として設計思想の中にどうしても
入っています。足し算の美学ということが言えるでしょう。
 それが日本の制限速度40km/hのところで必要でないことは間違いのないことです。
その物量投入という西洋思想の呪縛を解いて、部品点数をいかに少なくするか、という日本の引き算の美学に当てはめた設計思想とはどうしても祖語が生じます。
 それだけのかけたコストを部品を少なくして、部品一つ一つに傾注すると素晴らしい音づくりができると思うのです。
 1000万円クラスでも中を覗くと抵抗があんな安いのが入っていて、そこを信号が通ると思うと残念でしかたがありません。せめて100倍ぐらいコストをかけた抵抗使って欲しいと思ってしまいます。抵抗を代えるだけで間違いなく音の鮮度は上がると思います。
音づくりという全体観を捉える力は海外の設計者にはとても感じられます。それはとても勉強になります。
その音づくりの全体観を学び、日本の引き算の美学でもって、新たな音づくりの装置ができれば、見事な
日本でしかできない素晴らしい装置ができるはずであり、かつそれが世界にも通用するものであると確信するのです。
私もF1のように0-100km/h, 3秒弱  0-400m 10秒を切るようなアンプやスピーカーセッティング(ネットワーク)は造れますが、それは望んでいません。あくまで40km/hの世界です。そのつくりは最高に出しても60km/hのアンプです。しかし部品はF1なのです。そのような設計思想です。
そこに普遍性を求めています。
それはとても個性がないように感じますが、とても個性的なものが出来上がっていると思います。
個物と普遍の相即という哲学用語で語れると思うのです。
ますますそこに磨きをかけていきたいと思います。

一日中ピアノ曲、、、バッハ,ラヴェル

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CDプレーヤーがバージョンアップしてから圧倒的にクラシックを聴く機会が増えました。
今日は、本も読みながらこの2枚を中心に聴いています。

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ピアノ曲のソロがとても聴きたいのです。グレン・グールドのバッハ、『ゴールドベルク変奏曲』1981年の演奏です。55年のを聴きなさい、と言われそうですが、アナログは持っていますが、CDはまだまだこれからです。
もう一つがサンソン・フランソワのピアノで、ラヴェルの『夜のガスパール』1967年演奏 等々です。
やはり響きがとても良くなりました。叩く瞬間とその後の余韻が心地よいのです。一音一音が丁寧で心を込めて弾いているのが見えるようです。スタジオ録音でしょうが、コンサートより集中しているグールドが浮かんできます。
CDがこのように静かに鳴るとは凄いことだと改めて実感しています。

音伝えのハイコンテクストとローコンテクスト

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 我々日本人は、アメリカのような移民社会ではないので、ある共通の価値観を共有しているかのように感じながら生活している。
 もう一度アメリカを例に出すが、例えばニューヨークの高層ビルのエレベーターに一人乗ったとする。すると次の階で誰かアメリカ人?が乘ってきた。
 その時は、ほぼ間違いなく、「ハロー」と挨拶しあう。よくある光景である。
一方日本において、あるビルのエレベーターで同様な情景に出くわした場合はどうだろうか?
まずは挨拶はしない。
 これには、東京大学の山岸俊男さんが、「アメリカは信頼社会であり、日本はそうではなく、安全社会である。」と言っている。つまりアメリカは多民族国家なので、「袖触れ合うも多生の縁」ではないので、言葉を交わすことで、その瞬間に信頼関係を作っているという。そこから信頼社会と命名しているのだ。
一方の日本人は移民社会(古代は多分に移民社会だった。)ではないので、(これからは移民社会にならざるを得ないと言われている。TPPはその布石か?)、そのような信頼関係を築かなくても、安心な社会、という意味から安心社会という。
 このような安心社会(今は物騒な犯罪は増えたように思う)では、一般に多くを語らなくても通じ合うと一般的に
認識されている。いわゆる以心伝心の「分かるよな!」という感覚である。
これが「ハイコンテクスト」と言われるものだ。
 
しかしそれは本当だろうか?
この「俺の言っていることの意味なんか説明しないくてもわかるだろう!」というハイコンテクストな世界は終焉していると認識し直したほうがよいのではないだろうか。
 
世代間ギャップはもちろん大きい。ただ「今の若い者は・・・・」という言い草は、ギリシャ時代から言われていることなので(笑)、2500年前から歴史が証明している。
そんな世代の問題でもなく、同じ会社内でも縦割りな組織などと情報の風通しが悪い社風という言い方もよくされる。
つまりローコンテクストな社会なんだということを再認識したほうがよさそうである。
私が趣味としているこのオーディオも、私の伝えたいことは、私の伝え方の下手さとボキャブラリーの貧困に
より、皆様に伝わっていないと思う。
 
「音と音の『あいだ』」をいかに出せるか、
 
と言ってもこれを読んでくださっている方々の鳴らし方によって、そのイメージが百人百様なんだと思うので、定義化なかなか出来ないのだろうと思う。
このような音という極めてあいまいな、形として残らないものはよりローコンテクストになりがちで、しかもその人の
主観が大いに関係するものであるので尚更である。
音楽を聴いて「心地よさ」を求めるのは同じであっても、心地よさの意味合いが全く違う場合が多い。
「多様な価値観」と言ってしまえば、それまでだが、伝え方とは厄介なものだと思う。
また押し付けるものでもない。
しかし、音にも普遍というものがあると思う。その普遍なるものへの追及は、無個性か?というと全く逆だと思っている。ただ個性で押しまくるというアプローチではない。
私の方法は、情報量多さ、帯域の広さ、バランスの良さなど極めてオーソドックスな追及(これとて私が勝手にオーソドックスと思っているだけか?)だと思う。
それに歪にはとても煩いと思う。
それは一般的に聴こえる「歪んでいるな!」というものではなく、音と音が重なって
本来そこにある倍音という音空間が消えてしまっている状態を「歪」と認識している。
それがCDでは当然のもの、と思っていた。しかしここに来て、全てがクリアされたわけではないが、とても楽しく聴けるレベルまで、我が家の装置で達成しつつある状況だ。
「話せばわかる・・・問答無用」ではなく、「聴けばわかる・・・問答無用」なのかもしれない。
しかし、ローコンテクストながらも、細々とであるが、このブログも続けていきたいと思う。
 

早くもVer.8へ。。。凄いCDプレーヤー

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 この音で外観を新たなデザインで出してみたい欲求に駆られるCDプレーヤーです。
これだけのCDプレーヤーはそうそう無いと感じています。
ゴールトムンドのリファレンス+ムンドの最高のDCAなんかと比較視聴(Ver1の時)しました。
さすがに負けていました。完敗に近いものでした。しかしバージョン4あたりからまずまず勝負できるのでは、
という感覚でした。この時にある方はプレシジョンをこれにしました。
 
 それからもVerアップを繰り替えしてきました。
それが6で止まっていました。
もうこれが限界だろうというのが師匠の感覚でした。
 はやりハイエンドのアナログには及ばないというのが正直なところでした。
 しかし、先日のオーディオリプラスのターンテーブルシートをCDプレーヤーの天板に乗せて、その音を
 聴いて、師匠のオーディオ魂に火がついて、やりたくない?空中配線化(目視では絶対不可能なハンダ付け)を
 試みました。
 一台目は失敗で鳴らなくなるという大変さでした。それを克服して見事な空間表現が出来るようになりました。
 CDでもここまでなるのだ、というのが実感でした。
 しかし、まだアナログとは何か差があるな、とも感じていました。
 それがVer.8になって、
 スタジオの空気感、左右、天井の高さ、奥行きなど、スタジオの広さというか、狭さまで残響としてマイクに入っている息吹きが感じられるようになったのです。
 しかも、楽器に生命、ボーカルのあのアナログならではの丁寧な喉の動かし方まで感じるではありませんか。
 まさにアナログに肉薄してきた瞬間でした。
 驚きました。
 反面、この機材は鳴らしにくいな、という個性を感じるまでになりました。
 他の機材にボトルネックがあると、そこを見事に粗となってさらけ出します。
 まさにカミソリのような切れ味であり、凄いのですが、恐ろしいCDプレーヤーになったと思います。
 こんなプレーヤーは世の中には出しにくい、評価されにくいプレーヤーのような気がします。
 しかし、この音を新たなデザインで世の中に問いたいと、いう欲求にもかられるところもあります。
  鬼才と言われたグレングールドのバッハ『ゴールドベルク変奏曲』を真剣に聴くと、感動するのですが、
  聴き終わると疲れている自分を感じるのです。
 それだけ真剣さを要求されるCDプレーヤーになりました。
 とても聴きながら本を読めるものではなくなりました。
  ちょっと前のCDとは、ある壁を越えたものとなったことは確かです。
 また近々、視聴結果をご報告します。

日本の風景。。。春山とある旅館

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新幹線からの景色です。

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このショットを撮りたかったのです。あまり美しくないかもしれませんが、日本を現しているような感じがするのです。
もう一つの山は、景色が急に変わる関ヶ原付近です。

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もう一つが昨日泊まった旅館の風景です。

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能舞台があります。能は引き算の美学があり、ある意味、人間を否定することで、人間を浮かびあがらせるという心の風景です。人工物ですが自然
と見事に融合しています。

久しぶりの2階のオーディオルーム

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 最近は全くと言ってよいほどこの部屋で聴いていませんでした。
土曜日は仕事ばかりでしたが、3月になって休めるようになり、CDプレーヤーがVer.8になったのが2台になった
こともあり、掃除もかねて聴きました。
 結局オーディオの趣味人の虫がムクムクと湧いてきて、イメージ 1 この部屋に通って、セッティングも綿密にし始めました。
KEFのスピーカーLS50が予想以上に鳴ってくれるのに驚いています。
こんなに雰囲気良く、低域駆動力のあるテレフンケンEL156のパワーアンプと相まって好く鳴ってくれています
しかも雰囲気だけではなく、情報量の多さも意外なほどです。
さすがにCDプレーヤーの素晴らしさがこんなにも効いているのか、と再認識させられて色々と調整しています。
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エクスクルーシブP3、。。。
 
 
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これらの2マイの写真の機器類は可愛そうに全く聴かずにいます。
 鳴らして欲しい、と言っているようです。ごめんなさい。
 
さすがにティールのCS5は朗々となってくれます。
5wayということもあり、少々フォーカスの甘さはありますが、発売当初この大型フロアに関わらず、良く売れたことが今でも分かります。とてもステレオフォニックに鳴らすのがうまいな、と感心させられます。
 それにしても最近はアナログを聴いていないことに気がつきます。
それだけ、CDの音が飛躍的に上がったのだと思います。
また近々アナログも始めたいと思いっています。

電源ケーブル ヨルマデザイン スーパーパワーに交換して聴く

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 ここのところ2.3日2階のオーディオルームに入り浸っています。この1年間では無かったことです。
本を読むのを削ってでもやりたいからです。
とても楽しく夜中まで聴いています。いや、いつものように触っています、といったほうが正しいのかもしれません。
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視聴に使ったのは、ベートーヴェンのチェロ・ソナタ3番です。
チェロはロストロポーヴッチです。ピアノはリヒターです。
1961年の録音で、これ以上ない組み合わせの2人です。まさに夢の競演です。
その名に相応しい演奏を2階のシステムで再現してくれるか、を頑張って触りました。(笑)
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それで取り出してきたのが、スェーデンのヨルマデザインのスーパーパワーの電源ケーブルです。
購入した時は、ヨルマ・プライムに次ぐ存在でしたが、今はその間にユニティでしょうか?オリゴ?でしょうか幾つか出ているようです。
そのあたりは試したことはないのですが、スーパーパワーは今も現役で使っています。
主に、アナログのモノラルのヘッドアンプ用として左右に2本使っています。それとこの写真のものです。
ちなみにコネクターはオヤイデのF1/M1に交換しています。
オリジナルのコネクターでないとこの商品の良さが出ないという方もいらっしゃいますが、これに交換することで圧倒的なクオリティアップになります。
もちろんヨルマ・プライムの実力まではいきませんが、スーパーパワーとの差が歴然としていた時と比べて
かなり近づいたと思っています。
この状態のものをNBSのBlack label(ブラックラベル)オリジナルと交換しました。繋いだのはCDプレーヤーへです。
1日目はそれ程では無かったのですが、昨日はかなり見通しが良くなりました。
ブラックラベルのような強い個性はないのですが、素直に上下に良く伸びた帯域を示してくれています。情報量も
多くこれなら使えそうです。
このスーパーワンはこれを含め3本ですが、電源ケーブルの両サイドのコネクターをF1/M1にすることで、手放せないケーブルになりました。
ロストロポーヴッチの力強くしかも鳴くチェロが心地よく響いてくれます。リヒターは控えめですが、ソフトながもロストロポーヴッチの力強さに併せたタッチが見事に目前で展開してくれます。
ちなみに、パワーアンプへはNBSのブラックⅡを使っています。
最近以前のように色々と試すのが楽しくなっています。
今夜もまた何かを試そうと思っています。
 
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