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Channel: オーディオ(Audio)文明(世界遺産)に想う_なお&トラちゃん
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オーディオ用電源トランス

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久しぶりに書きます。
海外出張やら東北にも行って色んな方と話をしてきましたので、なかなか準備やまとめで
時間が取れませんでした。
 
実は海外に行く前に、アメリカのオーディオメーカーが出している、オーディオ用の電源トランス
を我が家で試したいとある方が持ってきてくれました。
とても良い製品で空気感が出るようになり、エッジの効いた音が聴ける自信の逸品ということもあり、
私も聴いてみたいと思いました。
 
私も電源トランス(ノイズカットトランス)の重要性は認識していましたので、使っています。
いくつか試して、今使っているトランスのノイズレベルは他のものより一桁違うということを聴いていましたので、
それをやはり師匠に改造してもらって使っていました。
改造前は、スペックは良くてもやはり、そんなに大したものではありませんでしたが、師匠の手にかかると
 
 空気が緊張したがごとく、向こうまで見通せるようになっていました。気に入って3セットとも使っています。
 
 そんなところに重いのに持ってきてくれました。
 結果は色々試しましたが、我が家には合いませんでした。
  空気感は無くなり、エッジも丸くなり、奏者の熱気なり気概が伝わってこなく感じました。
その結果にショックだったようですが、そんなことをここでは書きたいのではなく、
 
 このような比較視聴することで私の違った取り組みのパワーが湧いてきて、前段のアナログ・プレーヤーやCDプレーヤーを独立して別途ノイズカットトランスを入れました。
 つまりアンプと独立させて、それぞれの機器にトランスを使ったのです。
 
 これには驚きました。
 もう一段見通しが良くなりました。
 
 持ってきてもらったことで、新たな取り組みが出来て、しかも素晴らしい結果に繋がりました。
 やはり交流することは大事ですね。
  その製品の良し悪しはありますが、そんなことより刺激を受けることによって新たなトライをしようと
 する気持ちが起こってきます。
 
  

久しぶりのアナログ

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 最近はCDプレーヤーばかり聴いています。
今更ながらアナログより使い勝手がよくて、気軽に聴けるからかもしれません。
もちろん長短の時間に関わらずじっくり聴けるだけのクオリティが上がったからに他なりません。
 しかし、残念ながらアナログにはその使い勝手以外ではさすがに勝るところはありません。
 
 今日はCD専用アンプからアナログ専用アンプに交換せずに聴いています。
CD専用なので、アンプの利得がとても小さく、蚊の鳴くような音です。
恐らく師匠宅より小さい音です。
東京の建て込んだ場所で、夜に窓を開けて聴いていても近隣から苦情が出ない音量です。
あまりに小さいな、という感じで聴いていましたが、慣れてきて(笑)
けっこう聴けるのです。
空気感も感じられるようになります。
おそらくなんでこんな小さな音でこんな雰囲気まで感じられるの??
という感覚です。
 
 LINN LP12(パルハラ回路を大幅に改造した電源)とMonoのフォノイコライザーアンプとCD専用アンプを
をバンデンハルのコリブリで聴いています。
 さすがにあと3dB程度あったほうがよいかな、とは思いますが、プリアンプを通しませんし、このパワーアンプでは通してもフルボリュームでも、通さないのと同程度です。
昇圧トランスなんて挟んだらもう空気感は無くなってしまいます。
 
 それにしてもやはり追い込んだアナログは、肉声にしても楽器のタッチにしても、CDでは得られない何かを
 私に与えてくれます。
 (残念ながら最新のLP12 高価なRADIKAL電源ではこの空気感は出ないのです。カートリッジはTITAN)
 
 この鋭敏な音と矛盾するかのような柔らかさを、次代のテクノロジーで越えてもらいたいと思うのこの頃です。
 
 
 
 

真面目に聴きました。

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 2か月近く更新していませんでした。
忙しくしています。毎度のことなのですが、なかなか聴けていません。
CDは朝、出かける準備をするのにBGM的にかけています。
しかし、いつものストイックに追い込んで聴くという感じではここ2か月近くしていません。
 
 やはりCDではそんな感覚になるのでしょうか。
かなりよくは鳴ってくれています。
 でも何か挑戦的に追い込みたいという意識にはなれないんだ、と昨夜感じました。
 実は昨夜、アナログに繋ぎ替えました。
 日々本を読むのに追いまくられている感じで、なかなかアンプのスイッチをいれられない日々が続いています。
 昨夜も10時頃まで本を読んで、
 急にアナログを聴こうと、下の階からアナログのパワーアンプを持ってきて接続しました。
 前回書いた後からですからはやり50日は経ってます。
 
  鳴らした瞬間、はやり「音が生きている」という感じがして私のスイッチが入った感じでした。
 一時間程度聴いて、「好いなぁ」から調整をしないと、という風に感覚が変わっていきました。
 
 調整はLINNのサスペンションとグラハムのアームとバンデんフルのカートリッジです。
 これはかなりシビアなものです。
 50日も使っていないと、最初の1時間はそのままでも好い感じなのですが、その後はもう少し空間の表現とか
 奏者の息づかいまで分かりたいと思ってしまう、以前の私に戻っています。
 結局3時間聴いて、今朝も1時間聴いてきました。
 
  はやりこの感覚が欲しくてオーディオをやってきたんだ、というのが戻ってくるのです。
 高域の伸びというか、10KHz以上の雰囲気の部分がもう少し欲しい感覚は昨夜の後半ぐらいから感じています。
 接点を磨くこともしていませんので、真空管の足やケーブルの接点などを今夜磨きたいと思います。
 それだけでも微妙に録音現場の広さや楽器の鋭敏な立ち上がりや音の消え方が変わります。
 聴きたいのは、そこだった、というのを今晩味わえたらと思っています。
 
  まだプレーヤーの調整が微妙に済んでいませんので、それもしなければなりません。
 
 また来週から海外(ブータン他)に出ますので、それまでに、これを聴きたかった、というところまで調整し終えたいと、
 思っています。
 はやりアナログをやらないと趣味として燃えるものがどうしても不足してしまう、と感覚があります。
 本を読まねばならず、寝不足になるのでしょうか。

ブータン

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あまり馴染みのない国かもしれませんが、3日前から来ています。
写真は標高3000mにあるお寺です。タクツァン僧院と言います。日産のゴーンさんに思いがけず、こんなところでお会いしました。何回かお会いしたことがありましたので、話をしてましたら、思い出してくれました。こんな秘境でおあいするとは。片道、登りは3時間かかります。その上高地なので空気が薄くけっこう辛いものでした。
今は首都のティンプーに来ています。
まだ信号にはお目にかかっていません。恐らくないと思います。
のどかな農村風景ですが、ほとんど平地はありません。
唐辛子の辛さが得意な方は是非一度訪れてください。(笑)
仏教をこよなく愛し制度化し、それと共に唐辛子が無いと生きて行けない国のようです。

CDプレーヤー Ver6 またまた新たに!

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 本日さきほど師匠宅からCDプレーヤーが届きました。
最近忙しさもあり、師匠ともあまり密に連絡を取り合っていませんでした。
その間、なんとバージョンが2ステップ上がったCDプレーヤーが完成していました。
いや、まだバージョンアップするのでは、と思っています。
 
 約半年に一度バージョンアップしている感じでしょうか。
 
 一言、解像度が高く音が太い。
 どうしても鋭敏な音にすると、線が細くなってボーカルの喉の奥のビブラートや喉の奥の大地から湧きあがる
 ような低域が出ないのです。それが出てくれるようになりました。
 それはピアノにも言えます。
 クラシックコンサートに行くと、音が優しいのに鋭敏な音を感じると思うのですが、それが出てくれます。
 CDではなかなかクラシックが聴きたいという気になれなかったのが、聴きたいと思うようにもなりそうです。
  先日のインターナショナルオーディオショーでも、聴きたかったスピーカーから出ていた音にがっかりでした。
 評論家の先生は良さをアピールしていましたが…。
  スピーカーはポテンシャルはありそうです(オーバー2,000万円もしますので、雲の上の存在)が、CDプレーヤーやアンプがもう一つだったのかもしれません。
 しかし、アンプも1,000万円以上でCDプレーヤーも500万円以上というものですので、かなりのものです。
  しかし、線が細いのです。
  プリアンプを通していますので、その細さはどうしても出てしまうのでしょうが、残念な音が殆どでした。
  一つのブースだけ、いい音づくりしているな、というところはありました。
  そこはそんな超高級器ではありませんでした。
  しかし、鳴らし手がいいのでしょうね。
  仕事帰りにちょっと立ち寄っただけでしたので、ゆっくり聴けませんでしたが、
  最近はがっかりなショーです。しかし、なぜか夢を求めて行きます。
  今後も行くのだと思います。
 
   そんな音を聴いていたこともあり、今度のバージョンアップは、さすがに朗々となってくれるのに
 満足です。
   まだ、アナログと比べると倍音の空気感が少々不足はしていますが、いわゆる情報量は以前のバージョン
 (Ver4)とは格段の差があります。
  ボーカルは喉をすーっと通ってくれる感じがします。
  定位があがったのだと思います。口元も小さくなりました。イメージ 1
  
  それにしてもこの1986年生のCDプレーヤーの基本性能は凄いと思います。
  その時のエンジニアは乾坤一擲なものを作り上げていたのですね。
  素晴らしい。
  設計は少々触っていますが、思想はそのままですので、さすがです。
  そのメーカーも1987年生はもう基本性能は落ちます。値段は高くなっていますが。
  それでも20万円はしません。
  そのころの10数万円は決して安いものではあまれんが・・・。それゆえエンジニアは気合が入ったものを
  作ったのだと思います。
  まだお元気なら一度お話を伺いたいものです。
 
  そんなことまで感じさせてくれるCDプレーヤーです。
 
    素晴らしい!

CDプレーヤーVer.6 日々良くなってきています。

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 送られてきてまだ1週間も経ちませんが、朝晩鳴らしているのでエージングが進んだのか
 音の帯域が広く、余裕のある音で朗々と鳴って、音数も増えてきました。
 
 最初からとても良くなったことは認めましたが、まだBGMでも聴けるところもありました。 が、今はそのBGM的に鳴らしていても、うんッ、と引き込まれるような奥深い鳴り方になり、思わずリスニングポジションに座って
 聴きこんでしまいます。
 
 音と音の間隔の距離感や前後感のリアリティは見事に上がりました。
 その空気感が欲しかったのです。
 まだ手触り感と申しましょうか、奏者に触れるようなところまでは、あと一歩ですが、
 聴きこむ体制に入ったことは確かです。
 
  実は2台目もVer6にしてもらっています。同じ機種でも音が違います。
 今度のほうがフォーカス力は上のようです。
  2台の聴き比べも楽しみです。
 
  本に追われるような毎日で、今この机にも20冊程度乱雑に積んで、早く読んでよ!と催促してそうな雰囲気
 なのです。
  最近まではブログの更新もせず、その本ばかり読んでいましたが、この音が聴こえてくると
  音に魅かれて本が少々遠のくのです。
  でも週に最低でも3冊は読んでますが・・・。
  このペースでは仕事にならないのですが。
  しかし息吹を感じる太く鋭い音に魅力を感じつつある今があります。
 
  悩ましい日々です。寝る時間を削るしかないですね。

シンフォニーの聴き方

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この11月にウィーンフィルにベルリンフィルという2大管弦楽団がやってきました。
クラシックに限らず世界に関たる超一流のアーティストが次々と来日します。
 先日のポール・マッカートニーしかりです。
 世界一のアーティストが集まるセンターが東京と言われるだけのことはあります。
 
 このようなコンサートで、特に私はオーディオを趣味としていますので、聴き方がどのようなものだろうか、と
考えてみました。
 私は本も非常に多くの本を読みます。
 その本に照らしてみたのです。
 
 私はそんなに小説は読みません。そんなに、ですのでたまに読みます。
『永遠のゼロ』は久しぶりに涙して読みました。海外に行っていた時に帰国の飛行機で読みました。
 ドバイから成田までの間、読んではトイレに行ってティッシュで鼻をかんでました。
 小説というのは、その主人公に自分がなったかのごとく読み進めているのが分かります。
 一方、よく読む哲学や思想書は、そこに主人公はいません。
 筆者はいますが、主人公は唯一神の神のごとく超越なる声であったり、主観をこえた一般としての意思であったり、筆者の主張としての意思であったりします。
 そんな得体のしれないものにいちいち感情移入してられません。(笑)
 それで、私というものをその文脈やセンテンスの横に常において、対象化しながら読み進めているという
 感覚でしょうか。
 
  この哲学・思想書的な読み方が私のシンフォニーを聴きに行った時のスタンスではないか、と言うことをふと脳裏に浮かびましたので、記しておきたいと思ったのです。
 つまり、目の前で演奏して聴いているのですが、脳もそれに反応はしていて心地よいという感覚があるのですが、小説のように指揮者や奏者に成りきる、というのではなく、我が家のオーディオから出てくる楽音とだぶらせながら、対話させながら聴いている感覚なのです。
 正しく哲学的な読書法とよく似ていることに気がついたのです。
 哲学書はこのような読み方をしないと、字面だけおっていて何も残りません。
 ある程度の哲学的な語彙や西洋哲学や東洋の思想のフレームワークが分かっていないと読めません。
 シンフォニーを聴きに行っても、それがベルリンフィルという超一流であろうと、ある程度の予備知識や予備脳??
 を作っておかないと、その良さが分からないと思うのです。
 そんな事前の知識等は必要がなく、良いものは良い、という意見もありますでしょうが、その良さのより深さを
 感じるにははやり必要なことですし、聴いてはまた知識を加えて、又聴くという繰り返しがよりその人を
 深く感じさせ、また言葉にした時も複雑な言葉となって著せるのではないか、と思うのです。
 
 こんな聴き方しか出来ないのは、不幸だな、と仰る方の声も聴こえそうですが、私の聴き方を
 デカルト的な目で俯瞰してみた次第です。
 

ジェントリフィケーションとボヘミアンなニューヨーク

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 ジェントリフィケーションという言葉
  と
 ボヘミアンという言葉
 
 言葉の響きとしてどちらが我々の心に響くだろうか。
 一般的にはジェントリフィケーションなのかもしれない。
 都市に当てはめてみると、その言葉にぴったりはまるのがニューヨークだろう。
 アメリカの金融政策とこの言葉とがしっくりと融合し、ニューヨークが綺麗に美麗化していると言う。
 土地の地上げによって近代的なビルが全ての地区で立ち並んでいるという。もちろんニューヨークは
 エンパイヤーステートビルに代表される摩天楼の華やぐ街として世界のあこがれであった、いや今も
 そうなのかもしれない。
 ブルックリン地区でも土地の価格が驚くほど上がり、はやり美麗化しているという。
 何が悪いのか。
 
 悪くはない。元のニューヨーク市長のジュリアーノ氏によってニューヨークは生まれ変わったと
 言われる。 地下鉄の驚くほど乗りやすくなった。私もそれは実感したものだ。
 
 そこでボヘミアンという言葉。
 自由奔放な生活を追究する人々のことを言うが、元々は文字通り、その地域から波及した言葉のようだ。
 それが主義的なものとなり、アーティストたちの、世間とはある一定の距離をおいた伝統や習慣にこだわらない
 グループや其々の生き方をする若者がこのニューヨークに集まってきた。
 アメリカンドリームを夢見る者の集まりでもある。そこにはあるエネルギーが集積していた。
 文化もあった。
 治安的には一種独特の悪さも感じるところだったと思う。
 
  それが今のニューヨークには消えつつあるのではないだろうか、と思うのである。
 面白くない。
  集まる人がジェントル化している。
 
 人間は美化する方向だけでは、どうも息苦しいのではないだろうか。
 マルキシズムも理念は素晴らしいが、人間の本能にある荒ぶる欲望を抑制し、理性のみで生きていく
 というあまりに優等生のismであったため、世界には広まらなかったのではないだろうか。
  もちろん今も社会主義国家は存在するが、そこには腐敗構造が見え隠れする。この構造もはやり欲望
 を抑制することが出来なかった証でもある。
 
  真善美ともに完全なことにこしたことはない。しかし、人間というものはそんなに合理的に出来ていない。
 非合理なところがある。だから面白いともいえる。厳然と宗教が2000年も続いていることがその証だ。
 人間も生まれた時から、環境や地域、能力差を持って生まれてくる。I was born.であって自分の意志ではない。 またハイデガーの「被投性」という、この世に投げ出されたのである。 全く同じ条件で、ヨーイドンで努力して育っていくのではないのである。
 そんな中でも関係性を心身ともに使い大きくなっていく。
 
  そんな結果として人種を含めるつぼであり、エネルギーの塊としてのニューヨークであって欲しい
  と思うのである。
  そんな都市にあこがれ、我々日本人も現地に赴き空気を吸って身体全体で受容したい場であって欲しい
 と思うのである。
  ジェントリフィケーションだけでは面白くない。ボヘミア的なものとの融合、その融合が頂点のごとく集中する
 ところに何か新たなるものが生まれる。
  そのコンセプトが、エネルギーとなり、世界に文明として伝わっていく都市であって欲しいと願っている。
  そろそろその空気をまた吸いに行きたくなってきた。
 

フランクルの『夜と霧』を読む

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ヴィクトール・E・フランクルの『夜と霧』(池田香代子訳)を読んだ。
あのポーランドのアウシュビッツの話である。
私自身もその地をこの足で歩いてきた。幾多の映画のシーンに出てくるシーンでもある。
少し長くなるが今の想いを感想めいたことになるが書き残しておきたい。
言葉を慎重に選ばなければならないが、浅知恵ゆえにご容赦願いたい表現は多々あると思う。ご指摘も
頂ければ有難いと思う。
 
「カポー」という存在をご存じだろうか。連れられてきた被収容者ということでは同じである。その被収容者である囚人の現場監督者である。ナチの他国からの親衛隊(ドイツからはあまり来ていない)の下で働かされた存在のことである。
正しく現場の実行者であった。
人はセレクトされる時に上から選ばれる。我々も小さい時から運動会でクラス対抗リレーやクラブ活動においても足の速い者であったり、運動能力の高いものから選ばれてきた。高校や大学に入る時もそうだった。企業に入社する時も上から選ばれる。当然のことと思っていた。
しかし、カポーは下から選ばれた。つまり「悪」を選んでいく。
このカポーにはインセンティブを与え、モチベーションを上げていく方法論が考えられていた。ある意味西洋の階級社会の歴史がなせる業といえるのではないか、と思うのである。イメージ 1
モチベーションを上げるということは、囚人に極悪非道なことをすることである。一言で言えばサディストである。囚人は今の我々の生活からすると毎日飲まず食わず(一日一回水のようなスープと一切れのパンのみ)で働かせ、働けなくなり病気になり死んでいくか、殺されていく。自殺するものも少なからずいる。自殺するのを止めても銃殺されるという今の常識では全く想像すらできない情況だっただろう。
そんな将来の時間を含めて全く見通せない状況で、囚人は生き延びていくものがほんのわずかだがいたのである。その中の一人が精神医師の作者である。
希望や夢を持てた人、それは一緒に連れてこられた妻や子供に会うため、というような、この場の雰囲気ではかなり遠い夢でもあった。そんなことより目の前の目標、土木作業(とある請負会社)で頑張って働き褒めてもらって煙草一本もらうため。それは吸うためではなく、この一本がスープに交換してくれることで何日か生き延びられるという希望のためである。ちなみに煙草を吸った人は生きる望みを捨てた人で近々死んで言ったという。
地獄のような中でも状況判断していかに生き延びるかを考える。それは自分自身のためだけなのか?そうだとも言えるし違うとも言えるという利己と利他の精神が刻々と入り混じった情態だったようだ。
 その後ご案内のようにナチは敗戦し、アウシュビッツに残った囚人は解放された。つまり自由になったのである。地獄のような先の見えない状況からの解放、これほど素晴らしい精神情況はないくらいではなかったか。
極限からの脱出である。
しかし、しかしである。(変な日本語を書いてすみません。)
その解放され自由になった彼らの殆どはその後大いなる落胆の憂き目に遭遇するのである。なぜか。極限のなかで小さな夢や希望の光を見つけ、精神の糸を切らさずに頑張ってきた。その希望が夢砕かれる現実を直視せざるをえない事実に遭遇することになる。一緒に連れてこられた妻や子供の死が分かるのである。会えることだけを夢みてきたのに、それが叶わないことを現実のものと受け止められないのである。あまりの落胆に精神的に奈落の底に突き落とされる。精神的には囚人の時より悪いと言える。精神として自由になったのではなかったのだ。
 
「人間とは何なのか?」
あの極悪非道の仕打ちを受け死と隣り合わせの日々で周りは殆ど死んでいった中でも、囚人は喜びを見出せる存在である。水のようなスープを飲む時、カポーの監督者に鍋の底から掬い上げてくれ、そのスープの中に豆やジャガイモが入っていることに大きな喜びを得る。しかし解放されても家族の存在がないことが分かると自分自身の存在さえ感じられなくなるくらいの虚無に陥る。
つまり最悪な情況であっても小さな希望や夢が持てたら生きていけるし、ホント爪の先ほどの目の前の希望が達成されると嬉しく思う。
人間は哲学者西田幾多郎的に言うと、「統一的或者」(とういつてきあるもの)という過去と今という、その人にある存在の統一が認められることが大事なのである。その上に夢や希望ということの達成によって過去と今と未来が繋がっていくという「根源的統一力」が生まれる。
 
 人間は達成しようとすることを時系列や空間において、存在が見事に重なる瞬間を見出した時、「今」で重なる。 これが人間の人間たるゆえんだと思うのである。
 
1人の人間がこのような極限(アウシュビッツだけではない。)おかれ、あるところで時系列に「今」で重ならなくなる。その時存在の分裂が起こり、人間として破綻する。西田の『善の研究』とは真逆の「悪の研究」はこの存在の破たんをさせる方法論なのであろう。
フランクルの『夜と霧』は、人間というものの根本にある何かを突き動かすものであると思う。
名著であることは間違いないが、私の心をぐるぐるさせる迷著なるものでもあった。それが名著であるゆえんなのであろう。

CDプレーヤーを聴いていましたが・・・

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 師匠はさすがです。
CDプレーヤーがこの一年で驚くほどの進歩を遂げました。
 
しかしながら、我が家の(エクスクルーシブP3やRADIKALのLP12ではなく)バルハラ電源(大幅改造)のLP12
で聴くアナログにクオリティ的に近づいてきているのは分かるのですが、
近づけば近づくほど何故か離れていくような感覚なのです。
 
 音と音のあいだにある緊張感のある空気感の差たるや、もう・・・という感じなのです。
 
 同じ土俵にあがりつつあるからなのでしょうか。
 余計その差を感じ始めました。
 
 バージョンアップ前はわりあい気軽に聴いていましたので、良く鳴っているな、という感覚でしたが、
 最後の聴きどころである、楽器のこすれの艶であるとか、皮の張りの強さなどの
 こんな音が聴けたという珠玉の時を感じたくなりました。
 
 そこが出ないのです。
 しかし、そこは
 恐るべしアナログなんです。
 
  でもこれをカートリッジをタイタンにすると、はやり落ちます。
  音の先にある倍音という空気の震えがないのです。
  おそらく音がにじんでいて(もちろん滲みというような音は聞こえない)そのピンと張りつめた空気感が
  出ないのだと思います。
 
  カートリッジをタイタンにして、RADIKALのLP12にすると、CDプレーヤーの良さが分かります。
  もうここまで来ると、ちょっとした差なのでしょうが、そこが大きなさであり、追い込んでいくところ
  なんだと思います。
  ケーブルや電源、その他を含めてのトータルな力なのでしょう。
  改めて気づかせてくれるこの頃です。

ジャズピアニストのモンティ・アレキサンダーを聴く

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今年になってまだ何も書いていませんでした。
少しづつ書こうと思いますので、今年も宜しくお願いします。 
本棚の読み物は相変わらず増えている(年間200冊以上)のですが、ステレオを聴く機会が少なくなっていました。
今年も新た境地に至れるように師匠と新たなパワーアンプ作成に挑戦しようと思っています。
師匠には聴く時間は限られている、それ故に短時間だからこそ最高のものを聴きたいと話しています。
 
さて・・・
ジャマイカ出身の1944年生まれのモンティ・アレキサンダーを聴く機会にたまたま恵まれました。
とても優しくソフトタッチな音でした。
 そんな中にも芯のしっかりした軸のある音で周りの二人のベースとドラム奏者を包んでいき、
 我々聴衆を魅了していく。
さすがに若い時からオスカー・ピーターソンの後継者と言われただけのことはありますね。
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 私はオーディオでも常に言っていることですが、「あいだ」が聴こえるか、がとても大事なのです。
演奏では間の取り方でしょうか。
はやり独特の間があって、「ここが聴きたかった!」と感じたいのです。
開場まえから乗りの良いおじさんたちと立ち話をしながら、演奏に入っても雰囲気そのままにあっという間の
90分でした。
 終わってからCDを買って図々しく控室まで話をしにいき、帰りにサインまでもらいました。
 
 

久しぶりの賑やかな私の書斎

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正月はゆっくり長期に休みが取れた反動か、全く休めずやっと本日ゆったり。
それでイギリスの古いスピーカーのスペンドールBC2を狭い私の書斎に持ってきてセッティングしました。
そこは歴史的名機と言われるだけのことは充分感じ入ることが出来ました。
勿論私のことですから、内部配線は7Nの銅線に、ターミナルはWBTに交換しています。これだけの投資で今も一級品として聴かせてくれます。

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特に定位の良さと中高域の充実は見事です。
久しぶりにアンプを交換したりして、リラックスした一日でした。

昨日の続き

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あれからも色々試してます。
今は久しぶりのアナログ。
やはり空間が真っ暗で透明で緊張感があります。
それでいて音が立っているのに、柔らか。
一流のシンフォニーをコンサートに聴きにいったあの柔らかさです。
さすがアナログ。
奏者はこのところ
モンティ・アレキサンダー

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アンプもスピーカーも三機種用意して楽しんでます。
曲やジャンル、それにアンプとスピーカーの相性もあって、これがベストとは行きません。
ちなみに私はベスト・最善という言葉・概念は好きではなく、グッド・善がしっくりきます。
啓蒙思想家のヴォルデールも、<善の最大の敵は最善である。>と言ってます。

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やはりダイヤトーンのスピーカーをgoodに鳴らしたいですね。

映画「スティーブ・ジ​ョブズ 1995~失われたイ​ンタビュー~ 」特別映像

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YouTube にスティーブ・ジョブズ氏がアップルの解任され、その後アップルに復帰する直前の未公開フィルムが
公表されました。
それは下記からクリックして観ることができます。
その下にはそれを観て、私がサマリーしたうえで、少々付け加えて書いています。
ご一読頂けたら幸いです。
 
スティーブ・ジョブズ
 
経営者の病  
凄いアイデア、コンセプトを出せば9割成功と考えているそれを社員に伝え、社員が具現化してくれると。やはりハンズオンが大事経営者はコミットメントという言葉を真に認識しないといけない。
経営者は職人技が必要だ。
コンピュータのよう垂直的なツリー型思考では何も生まないと思ったほうが良い。人間の最大の売りは横の並列発想が出来ることそれも半端ではなく瞬時に5000もの繋ぎが出来ることだ。直観と言ってもよい。凄いアイデアから実行へのプロセスのダイナミズムが必要だしそれを引き出すマジックが経営者の仕事。そこでさらに優秀な成員とのストラグルが、最初の凄いアイデアを凌いで行く。リーダー(経営者)は、チームで働き、成員が目標に貢献出来ていないことを分からせる必要がある。簡単じゃない。しかしダイレクトに伝える。本当に出来る奴はそれが有益理解する。私は拘りを持って進めているが、反対の証拠が分かると意見を変える。そこはこだわらない。私はよく間違う。ゆえに最後の決断が正しければいいから考えを変えるのだ
人間と人工物
人間は自然状態では移動効率は動物全体中で1/3あたり。しかし道具、つまり人工物をつくり使うことで、ダントツになる。その人工物の中でコンピュータは一番になる可能性がある。史上最高の人工物人間は自然状態から社会化(家族の発生)した途端に人工物も発生する。この瞬間から人間に差異も生まれる。格差社会の誕生の瞬間でもある。この辺りはホッブスのリバイアサンやルソーの社会契約論に詳しく書かれているのでここではこれ以上触れない。
優れた芸術家は真似る偉大な芸術家は盗む、とよく言われる。
は恥じることなく、盗んできた。
Macの成功はコンピュータ科学で屈指の知識を持つ人材が音楽や詩芸術 動物 歴史の知識も持っていたことだ。それらの歴史的な人間の作品盗んでMacに注ぎ込んだ。非常に文化的な行為だったMacを作る時の場はそんな空気感った
コンピュータは作るがそれは手段だ。コミュニケーションの手段としてコンピュータは最高ツールだから我々一般人はIT企業というところに勤めている人は少ない。しかし、社会に生きて、人工物に囲まれた生活をし、これからの社会の中で勝ち進んでいくためには、ITリテラシーを高めなくてはならない。それは人類最高の人工物と接して行かなければ生きていけないというネガティブではなく、ITリテラシーを高めることでIT企業でなくてもビジネスがごろごろ転がっているからだ。
換言すれば、ここが残されたビジネスフロンティアなのかもしれないからだ。

沖縄 首里城

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沖縄の歴史を学びにきました。
素晴らしい歴史を学びましたが、第二次世界大戦の沖縄は私にはとても理解出来ない苦しい歴史だったことをほんの少しですが認識しました。

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徳川幕府が始まったあたりの朝貢と幕藩体制との外交のやりとりの交渉力はお見事だと感服。
戦争・紛争を起こさないという理念は素晴らしいことだと感じました。戦後処理の吉田茂は沖縄にとってあまり印象のよくないリーダーだったと思いますが、戦争・紛争を起こさずに平和理に外交交渉する姿勢は受け入れられることではないかと思いを巡らせました。

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我々は歴史をもっと勉強しないといけないことを再認識した旅でした。

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オーディオリプラスのターンテーブル・シートへの交換

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私は大のオーディオリプラスのファンです。
全てにあの石英をインシュレーターとして使っています。
そんな中で一つだけ、使って無かったのがターンテーブルシートでした。
やはり高価ですので躊躇してました。
それとジェルマックスのシートを気に入っていてもう20数年使っていました。

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先ほど沖縄から帰ってきて、それに合わせて宅配で届くようにしておきました。
早速LINN LP12のウエイト、バランス調整しました。
このシートはジェルマックスより重いので、調整出来るか心配しましたが、大丈夫でした。
それで鳴らしてみました。
もう、、、ただただ圧倒的でした。
素晴らしい。ダイヤトーンのスピーカーが喜んでいます。
この音の抜けの良さと、情報量の多さには驚くばかり。
テレフンケン156の高域の伸びの不足が嘘のよう。
今まで奏者には申し訳ないことをしていたな、とつくづく感じます。
世に言う今までのレコード全て聴きなおしたい感覚、と言うのを実感します。
こんな音の余韻を聴きたい、というのが伝わってきます。
とにかくじっくり聴きます。

一音一音をつかむ

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 私は新聞を読みません。
 以前は日経新聞を読んでいました。仕事柄新聞を読まずに、よくその仕事が出来ますね?と言われますが、
 もう7年くらい読んでません。
 そんなことを書きながら、舌も乾かぬうちに…ですが、日経新聞の「私の履歴書」が今月が小澤征爾さんと聞きました。
 それで、本日今日から遡って一週間分ほど、その欄だけ読みました。
 実は今日、わが職場のことが日経新聞に大きく載っているのですが・・・。それは置いておくとして。
 
 1月25日の「私の履歴書」斎藤先生逝く、の欄の抜粋です。
 
   先生が僕(小澤征爾)らに教え込んだのは音楽をやる気持ちそのものだ。
   作曲家の意図を一音一音の中からつかみだし、現実の音にする。そのために
   命だって賭ける。音楽家にとって最後、一番大事なことを生涯かけて教えたのだ。
 
 このことが小澤征爾さんのタクトにのり移っていたんだ、と感じました。
 私のオーディオはそんな気概と比べたら、全く歯がたちませんが、
 「作曲家の意図を一音一音の中からつかみだし、現実の音にする。」
  のような一音一音をつかみだしたいと常々思っています。
 
 最近はアナログに加えてデジタルでも挑戦意欲が湧いてきています。
 
 つい先日アナログのターンテーブルシートを購入し、非常に良くなったと書きましたが、
 間違いなくそうなのですが、しかし粗も表出してきています。
 今まで単に聴こえていなかった粗が聴こえだしたに過ぎないのです。
  もちろんシートの個性があるから、その音が乘ったと考えることも出来ますが、
 他のところを全てチェックしようと思っています。
 このように改善するところが見えている時というのは、オーディオを趣味にしている私にとって
 とても楽しい時間なのです。
  ある意味最善という概念など私には無いのかもしれません。
  しかし目指す目標としては必要なのでしょうか。
 
  ヴォルテールは「善の最大の敵は最善である。」と言っていますが…。
 

マーラー9番 ワルター指揮 ウィーンフィル

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相変わらず休みのない生活です。本日も疲れて帰ってきましたが、アナログからCDプレーヤーに換えてマーラー9番を聴きました。
1938年1月16日の録音です。太平洋戦争に入る前の録音です。驚くほど録音状態がよく、しかも名演だと感じるものでした。

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アンプは何時ものCD専用ですが、球を6L6G(マツダ製)に換えて聴きました。かなり選定した球ですのでお気に入りです。初期の東芝の6L6GCのシビアさにはかないませんが、味わいがありますので、このような古い録音のには威力を発揮してくれます。

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明日も仕事ですが、これだけ古いながら驚くほどのクリアさで、ワルターの熱気が伝わるマラ9を聴けて、気持ちがリフレッシュしました。
さあ本を読みますか。。…
勿論哲学のような難しいのではなく、易しいのを。

本日の電車内の風景

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日曜日の通勤時間帯の電車内はさすがに空いている。
立っている人は2、3人。座席もちらほら空きがある。都心の日曜の電車の風景である。
私はふだん立っていようと座っていようと常に本を読んでいる。
もう少しミクロに観察してみる。
空いているので、一車両全体が見渡せる。ちょうど真正面に若いカップルが座っていた。二十代半ばぐらいか。2人はそれぞれスマホを熱心に覗いている。さらに見ていると、男性は左右を見たりしながらスマホをみている。女性は熱心にスマホを覗いている。男性は女性に何か話しかけたが、それにも拘らず覗いている。男性は少し怒ったように腕を叩いて注意を向けようとする。やっと会話が成立した。しかしまた元の情景に戻った。
その隣に受験生風の女性が座る。
手に参考書か問題集のような本を持っている。しかし片手にスマホを持って覗いている。
朝の電車内の目の前の風景だった。
別に特段風変わりなことはない日本の電車内の風景である。数年前は寝ている人が多く、外国人には驚く光景だったらしい。それだけ安全な国ということだが。
それが、スマホの出現で様変わりした。
ニューヨークのサブウェイでは、まだこのような光景は見られない。
TEDにシェリータークルと言うアメリカの女性がコネクティド バット アローンと言う題でプレゼンを行っている内容そのものが、本日の電車内の姿だった。
今の情景だが、この先どのような社会になっていくのか、憂えずにはいられない。

ターンテーブルシートを別用途に使う

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真の目的は同じだと思うのですが、CDプレーヤーの天板に置いて振動を制振・整振すると考えです。
勿論CDプレーヤーの下にも50mm×20の透明タイプのオーディオ・リプラスのインシュレーターを使っています。
その良さは認めた上で、この天板への使用は予想以上の素晴らしい結果をもたらしてくれました。

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エッジの効いた鋭さと滲みを取っ払ってくれます。
アナログは勿論シートとして、CDプレーヤーは天板に、使い方は違いますが、どちらも予想以上のパフォーマンスを示してくれました。
一言で申し上げると余韻の素晴らしさです。
しかしこのオーディオ・リプラスは他の機材を厳選しないとピーキーさだけが強調されて良い結果が出ないかもしれません。
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