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Channel: オーディオ(Audio)文明(世界遺産)に想う_なお&トラちゃん
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宇宙波と丸山眞男

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「宇宙波」を初観測とニュースが飛び込んできた。ノーベル賞級の快挙だと絶賛していた。
我々はなぜあのような宇宙の重力波に心打たれるのだろうか。日々の生活には全くと言って良いほど関係がない。
しかしある存在に人間は動かされている。そのsomething を追い求めている。
何故なんだろうか?
それが何かを感じることが、心を安寧に結びつく方法なのかもしれない。

そんなものはあるのか?

安寧なる存在はあるのか、それは「大いなるウソ」でもよいのである。
ヨーロッパは古代ギリシア・ローマがあり、キリスト教という宗教、それによる文明が発達したという統一観念がある。
これがある意味「大いなるウソ」なのである。
ヨーロッパは広い大陸である。古代より、それぞれの地域地域にアニミズムや多神教的な民族宗教的なものは間違いなくあったはずだし、それぞれの文化も育んできたはずだ。

 一方日本にはそのような統一観念がない。
古代より海外のものを受け止め、取捨選択し受け入れてきた。
明治天皇の有名な「御製」に、

 「良きをとり悪しきを捨てて外国(とっくつ)に劣らぬ国になすよしもがな」

 維新以後の近代日本の特徴を表す。
つまり、イデオロギー的鎖国、技術的=テクノロジー的開国という使い分け、と丸山眞男は1984年に執筆した「原型・古層・執拗低音」で述べている。
近代日本の特徴というが、日本は古代からこの方法でやってきたと言ってよい。
松岡正剛のいう「日本という方法」なのである。

 丸山はまた面白い表現をする。
近代になるまで世界の中心は中国だが、その影響の仕方の表現が絶妙なのである。

「私は朝鮮型を洪水型といい、日本を雨漏り型というのです。」

確かにこのメタファーは素晴らしい。洪水は避けようもなく影響を受ける。受け入れざるをえない。日本の雨漏りは、影響は少しでも気になって仕方がない。常に雨が降る(新たな情報)と、バケツで受けに行くことを身体で感じるのだと思う。
これが日本なのだと思う。
しかし今の時代は日本も「雨漏り」ではなく、洪水型に近いところが、大きく異なってきていることを認識し直さなければならない。バケツでは無理なのである。移動することも出来ない。
ダムを造る、とて直ぐに一杯になるだろう。やはり底なしのダムを造るしかない。日本人の能力を高めるしかない。教育だろうし、教育の在り方を見直すことだろう。
ここに書いたことから考えると歴史という学び方の方法論を変えなければならないようだ。私に何が出来るか、考えてみたいし、そこから実践に繋げる試行錯誤を繰り返していきたいと思う。

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